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第15回 紅茶と読書会 報告 

課題本 「キャッチャー・イン・ザ・ライ 」 

J・D・サリンジャー著

村上春樹訳
2019/9/1@ 池袋

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J・D・サリンジャー著 

キャッチャー・イン・ザ・ライ

1951年 発行 

 

​今回は初めて同じ作家を二回続けて取り上げました。

丁度天気の子と言う映画にこの本が登場するようで、

乗っかるつもりがなかったのに乗っかっているようにしか見えない、

という事になってしまいました。

全く困ったことになっちまった、とんでもないね、全くやれやれだぜ。

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以下内容に触れる箇所もございますのでご了承ください。  

-ご挨拶-

  紅茶と読書会 第15回のレポートです。

 今回は過去最多14名の方にお集まり頂き、初参加の方が6名でした。

 

 今回の紅茶

  1. 台湾の美味しい水出しジャスミンティー

  2. スリランカ New Vitanakanda農園 FTGFOP 水出し

  3. 当日のお菓子 糖村 Sugar & Spice のチーズパイナップルケーキとドライフルーツ

■ライ麦畑でつかまえて

こんにちは。

今回は初めて同じ作家を2回連続で取りあげることになりました。

「ライ麦畑でつかまえて」の邦題で知られる有名な作品ですが、主催者は全くの未読で、恥ずかしながら内容すら殆ど知りませんでした。アメリカの片田舎で、少年少女が黄金の麦畑でキャッキャ、ウフフと追いかけっこをする小説だと思っていたのです。

永遠の青春小説と言う文句からして、そう言った内容の話だと思っている人は他にもいるはず!と思っていたら、参加者の中にも同じようなイメージを持っていた方が数名見受けられて安心しました。

中には「ライ麦畑の捕手」と言う迷訳(?)のおかげで野球の話と思っている人もいるとかいないとか。

当時でも捕手はないだろ、との突っ込みをしていた文学少年少女はいたでしょうね。

「捕手」だと途端に一人が座ってのキャッチボールしているイメージが湧いて来てしまいます。

主人公もちょいデブでホットドッグを終始口にくわえていそうな、冴えない奴がやっていそうです。

J.D.サリンジャー(前回の使いまわし)

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■サリンジャー大先生

1951年に「ライ麦畑でつかまえて」を出版したサリンジャーは、この小説の大ヒットにより一躍世時の人となりましたが、確かにこの小説は読んでみて身に染みるというか、男性だと特に若い時分の自己をダブらせてしまうのではないでしょうか。本当にすごい小説家だなぁと、前回、今回の作品を読んで思いました。

個人的にはですが、アメリカの小説家としてはヘミングウェイより凄い人なんでは・・・と思います。本質的なものとカッコよさを同時に、そして自然に表現する才能はカポーティやフィッツジェラルドにも通ずるものを感じます。こういうレベルの作家が現代の日本にもいてほしいと願わずにはいられません。

ホールデン的に表現したらこんな感じですかね。

それに引き替え巷のインチキ野郎どもときたら、これがまた本当に私はインチキの見本ですみたいな澄ました顔して、平然と歩いてやがるんだ、全くトンチキな話だよ、うんざりしちゃうね。

え、僕?僕はインチキじゃないのかって?

そんなの当り前じゃないか、僕がインチキである理由なんてニューヨークはおろか、中国まで行って探したって見つからないよ。セントラルパークのアヒルたちだって僕がインチキじゃないことを知っている。フィービーなんて僕の事が本当に大好きだもんな、ホント困っちまうよ。そんな奴がインチキな訳ないじゃないか。

そのしゃちほこばった面を鏡で見なおしてから、言葉を発してもらいたいもんだね、全く、やれやれ。

当日集った本達

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■キャッチャー・イン・ザ・ライを読んだ私の「ホールデン的エピソード」

野崎孝訳でも読まれている方もいましたが、村上訳の方が入りやすい、と言う声も多く聞かれました。

いつも最後に読書会の感想などを書いて頂いているのですが、

今回は「過去のホールデン的行動、もしくは態度」を皆さんに書いていただきました。

当読書会では表面的な話だけではなく、もっと内面的に語って欲しいという志向があるので、まれにこの様な恥ずかしい自分史等を書いて頂いています。

以下数名の方を抜粋し掲載させて頂きます。


​・23歳か24歳か覚えていないが、僕はスバルのサンバーディアスクラシックを中古車ショップで買い、
その中で生活して行くことを決めた。
車の中には本とラジオをそんなものばかりで、もちろんキャッチャー・イン・ザ・ライもあった。その計画を父に話したのだけれど、どうしてか言い争いとなり、ぼくは初めて父と殴り合い(にはならなかったけど)のようなケンカになった。家を出て弟に車で送ってもらう最中、よく分からない感情が込み上げてきて、僕はおそらく人生で一番泣いた。

→まさにホールデン、いやイントゥ・ザ・ワイルド。

・高校3年の時、国語の授業で茨木のりこさんの「自分の感受性くらい」が取り上げられたとき、この詩はもっと大人になって「今」の感覚を忘れたときに読むものであって「今」読むものではない。ましてそれを忘れてしまった教師から教わることに腹が立って、頼まれてもいないのにそれについて読書感想文を原稿用紙3枚に書きなぐって教師に高校時代に提出した。

→先生貴方はインチキ達の代弁者なのか、と思いますよね。

・高校~大学にかけて明治の文学に憧れて、デートに誘って仲良くなってから付き合うという一般的な手順をに嫌気がさして、ラブレターを出したり、花束を贈ったりエキセントリックな事をやっていた。

→その力はとても大切ではないでしょうか。

・ホールデン的という事が思春期特有の反抗心という事であれば、私自身にはホールデン的側面は少ないですが、義務教育-高等教育の中での「道徳」の押しつけには都度反抗してきた。
抑圧されて事や、その環境にいる人間にはなりたくないが、そういう人間を理解出来る様な、救えるようなフィービーのような人間には今からでもなりたいと思う。
周囲にいるホールデン的な人間をキャッチしたいと思う。

→崖の前の捕手でいてください。

・私は若いころ美しい物を追い求めた時期があった。
社会には白や黒やグレーもあるが、グレーの存在を受け入れられない自分がいた。
映画のようなお決まりで美化された情景を現実に求め、その不在を確認して失望するも、あきらめきれずに繰り返す。男女関係でもドラマチックで起承転結の段取りのようなものを求めたが、周囲の下劣な観念についていけず、ホールデンのように自分の世界観を社会に押し付けることがあったと省みる。

→ホールデン的世界観、フィービーといつか出会いたいところ。

・友達に誘われた飲み会でやたらと知人の多さや社会的地位をアピールする人がいて、その人に群がる人たちが羨望のまなざしで件の人を見ていた時、「その状況ってそんないいものですか?」と言った旨のことを言ってしまい、冷ややかな目を向けられた。人の値打ちってそういうもんじゃないとおもうだけど、参っちまった。


→インチキ野郎たちは放っておきましょう。

・小説の中で授業のやり方が気に入らないと言うホールデンに共感しますが、自分も結局は楽な方向に流されていくのかなと思いました。

→そんなもんですかね。サイレントホールデンを目指しましょう。

・大学時代、周りの学生がホールデンみたいな人ばっかり(変な学校)で、皆放浪の旅に出るが、帰国後日本になじめず。自分も留学後日本に馴染めず、友達とずっと日本についてディスりまくる日々。

→友達がいて良かった。フィービーも欲しいところ。

・学校のボス的な体育教師がいて、体育会的な雰囲気をバカにしていた。
体育の時間は図書室でサボったり、はしっこで寝たふりをしたり。思い返すと恥ずかしい。

→寝たふり、と言うところが秀逸。私は数学の時は部室で寝てました。

・私は「世界のあらゆる国に留学していた、と言う事を前提にして話す」遊びを良くします。
レストランでは「あ、これロンドンで食べたわ」とか「今日の天気はパリっぽいわ」とか「ホーチミンの猫の鳴き声は東京のそれとは違うの」とか。すぐに嘘だけどと言いますし、そもそも誰も信じてくれません。

→まさにかわいいインチキ野郎ですね。汝を許し給え。

■読書会を終えて

今回は参加希望の方が多く、すこし定員を増やして開催しました。3テーブルに分かれたのは初めてでしたが、まぁ何とかなったかなと言う印象です。苦情や不満のご指摘はまったく当たりません、ええ。

近頃はムラカミとかいうインチキ作家の雰囲気翻訳とか多すぎるよ、本当にうんざりするね、全くどうしようもないったりゃありゃしない、と言うご意見も聞かれそうなので次回は日本近代文学にする予定です。

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