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4回 紅茶と読書会 報告 Vol.2

課題本 「かえるくん、東京を救う」 村上春樹 著
​2018/8/5@ 雑司ヶ谷

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「村上春樹著 かえるくん、東京を救う」

1999年 発行 

 

~阪神大震災、オウム事件、そしてアンダーグラウンド以後~

​バブル崩壊後の不景気が忍び寄る1995年。

1月に阪神大震災が発生。そして3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。

村上春樹はオウム事件を取材し「アンダーグラウンド」そして、「約束された場所で」の2ドキュメンタリーを発表する。

その後「地震のあとで」と題された連作を雑誌に発表。

「目に見えるものが本当のものとはかぎりません。ぼく自身の中に非ぼくがいます。」

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以下内容に触れる箇所もございますのでご了承ください。  

-ご挨拶-

  紅茶と読書会、第4回Vol.2 「かえるくん、東京を救う」のレポートです。

 


■1999年12月発行 「神の子供たちは皆踊る」収録 「震災」と「オウム事件」がテーマとなる

村上春樹の短編の中でも人気の作品「かえるくん、東京を救う」。


物語は冴えない中年の片桐の目の前に突然現れた「かえるくん」から、「巨大地震を引き起こす「みみずくん」を一緒に倒しましょう」と頼まれます。

突然の要請に戸惑いを隠せない片桐ですが、かえるくんの説明を受け自分が選ばれし人間として理解し、要請を受諾します。

「神の子供たちは皆踊る」には震災とオウム事件を大きなテーマとしながら、直接的に神戸の事や事件が描かれているわけではありませんが、中でもこの「かえるくん、東京を救うに」にはこの2つの大きなテーマがうまく反映されていると考え課題本としました。

■片桐、かえるくん=善 みみずくん=悪なのか

 

この短編は多様な見方が出来る小説だと思います。
 

単純に読むのであれば、


A

「かえるくん」と「風采のあがらない中年・片桐」が協力して地下にいる「悪者」みみずくんを命からがら押さえつけて、最後かえるくんは消えてしまいますが、片桐がその死を無駄にしないために生きる、と言った具合で言わばヒーローものとして読めます。

多少掘り下げれば、


B

「みみずくん」とは単純な悪ではなく、人々が他者や自然に対して行ってきた「悪意や憎しみ」の集積地=「社会が内包してきた時限爆弾」であり、そしてそれが許容量を超えてしまったために「地震」が起きた、
とも読めると思います。この小説の中での「地震」は現実に置き換えると「オウム事件」となるでしょうか。

 

物語は導入部から片桐とかえるくん目線で進み、片桐は大人しいが他人に迷惑をかけない優しく良い人、かえるくんはユーモラスに、かわいらしく描かれていますので、読者は自然と彼らに肩入れをしてしまいます。


C
しかし彼らが本当に是の存在であるのか、と言う前提を疑う事も必要かもしれません。
かえるくんが言っていることはもしかしたらとんでもない妄想で、何かを破壊するために片桐を操ろうとしているのかもしれません。
片桐は今までの人生で誰からも評価されず、顧みられず、家族からさえ邪険に扱われていて、いわば社会から拒絶された人間です。
しかし突然現れた超常的存在の「喋る蛙」から「戦えるのはあなたしかいないのです」と言われたら、その存在に傾倒してしまう事は大いに考えられることです。

■「かえるくん」=超越的存在

今回参加者の方から「村上春樹は名前に意味を込めることがある、この片桐と言う名前は片方を切る、

という事を意味しているのでは」という意見が出されました。


片方を切る、つまり敵と味方を作り出す、と考えると「C」の見方もあながちおかしくはなくなってきます。

 

また片桐が最後に目覚める場所に窓がないとの描写から
 

「片桐は初めから精神異常をきたしており、彼の妄想の中で起こっている出来事が描かれている、そしてかえるくんは片桐にとって神や教祖のような存在である。」


「片桐が「かえるさん」と呼ぶと「かえるくん」と執拗に呼び直しさせる事も何らかの明確な意図を感じる」
 

と言った意見も出されました。

片桐は何らかを盲信するものであり、かえるくんはそれを操る「教祖的存在」であると言うことですね。

この様に考えるといよいよこの物語は何を表しているのか、一言ではとても語れないものになってきます。
 

■印象的なフレーズ

作中でかえるくんはいくつも印象的なフレーズを残しています。

「理解とは誤解の総体にすぎない」


「ぼくは総体としての蛙なのです、ぼくの事を蛙じゃないというものがいたらそいつは汚いうそつきです、断固粉砕してやります」


「ぼくは純粋なかえるくんですが、それと同時に僕は非かえるくんの世界を表象するものでもあるんです」


「目に見えるものが本当のものとはかぎりません。ぼくの敵はぼく自身の中のぼくでもあります。ぼく自身の中に非ぼくがいます」


「片桐さん、ぼくはだんだん混濁の中に戻っていきます」

 

これらの言葉は読書会で話し合っても中々答えが出にくいものでありましたが、

もう一度読み返してみて多少理解が出来たような気がします。

それは総体としての蛙とは総体としての人間として片桐の事を表していて、誰の中にも自分と非自分の存在がある、そしてその線引きは曖昧である、という事です。

片桐は私たち自身であり、そしてオウム真理教で事件を起こした人たちも私たちと決定的に何かが違っているわけではない、この部分に関しては小説の中で伝えたかった事なのでないかと感じました。

■最後に

私自身お気に入りの作品だった「かえるくん、東京を救う」ですが、読書会を終えてさらに理解が深まり、また新たな視点で解釈が出来るようになったので、課題本に選んでとてもよかったと思いました。

​また数カ月後に村上春樹を取り上げようと思いますので、ファンもアンチの方もご参加お待ちしております。

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